両角速監督(東海大)の息子は2人?佐久長聖高校で大迫傑を指導したって本当?!

こんにちは~!タケボーヤです。

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出雲駅伝2017では両角速(もろずみ・はやし)監督率いる東海大学が見事優勝を果たしました!

両角速監督は東海大で監督をする前は、佐久長聖高校で駅伝部監督を務めていました、今でこそ佐久長聖高校は強豪校として有名でしたが、就任当初は弱小チームだったそうです。

そんな両角速監督は佐久長聖高校時代には大迫傑選手なども指導されたことがあるそうですよ!!

両角速監はなんと本なんかも出しちゃっています!

原晋監督ほど沢山ではありませんが。

今回は、両角速監督の息子さんや、大迫傑選手について指導したことなどについて書いていきます!

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両角速監督のプロフィール

「人間力」で闘う 佐久長聖高校駅伝部強さの理由

こちらが両角速監の著書ですね!

名前:両角速 (もろずみ ・はやし)
生年月日:1966年07月05日
年齢:51歳
身長:不明
体重:不明
血液型:不明
出身地:長野県茅野市
所属:東海大学

両角速監は幼少の頃からスポーツが得意で、小学校の頃にはすでに将来は体育教師になるという夢を持っていたそうです。

中学で陸上部に入り高校は東海大三高校へ進学、東海大三高校ではインターハイに出場。

その後東海大学へ進みます。

東海大学時代は、名将・新居利広監督の教えの下で着々と実力を付け、4年間箱根を走りシードを守り続けました。

卒業後は実業団の日産自動車やダイエーで活躍するもオリンピックの夢は叶いませんでした。

 

佐久長聖高校での駅伝部監督時代は?!

1995年28歳の時に佐久長聖高校教諭となり駅伝部監督を務め始めます。

学校長から「5年以内に都大路に出場してくれ!」と無茶ぶりをされていたそうです。

なぜ、無茶ぶりかと言いますと、監督就任当初の佐久長聖高校は部員が2人で専用グランドもない状態でしたから(笑)!

この状態で「5年以内に都大路に出場してくれ!」ですからね。

非常に無茶な相談ですよね~!!

ところが、創部4年目に全国高校駅伝に出場し4位の成績を記録、1998年から2010年まで13回連続出場し12回入賞、創部14年目の2008年には全国優勝をさせて、全国有数の強豪校にしています!

やはり、両角速監只者ではありませんね、巷では両角速監無能なんて言ってる人たちなんかもいるようですが、これだけ無名な佐久長聖高校を全国レベルの水準まで引き上げるんですからすごい監督です!

佐久長聖高校での教え子には佐藤清治・上野裕一郎・佐藤悠基・村沢明伸・大迫傑選手などがいます!

 

東海大学で陸上競技部駅伝部監督!

2011年より東海大学の監督に主任する事になります。

佐久長聖高校を強豪校に育てた両角速監ですが、東海大学ではすぐに結果を出すことは出来ません。

前年度において、全日本大学駅伝と箱根駅伝ではシード権を得ていたにも関わらず、期待されていたエースの不調などもあり、就任1年目はこの2つの大会ではシード権を逃してしまいます。

 

続く2年目は箱根駅伝の予選会からの出場となりましたが、まさかの予選落ち、箱根駅伝の連続出場記録が40回で途切れてしまうことになりました。

このようなことから、両角速監の事を「無能」だとか叩く輩が出てきます。

しかし、3年目の2014年には13位、2015年は6位、2016年は5位と、箱根駅伝でしっかり結果を出してきます。

また、2015年には黄金世代とか、東海大スーパールーキーズとか呼ばれる超高校級の選手が軒並み東海大学へ入学。

2017年の出雲駅伝で監督就任後初の優勝を果たします!

また、指導方針については、非常に厳しく、高校駅伝での実績を持つ指導者ながら駅伝については、「駅伝は強化策の一部」、「駅伝はトラック競技、マラソンに出るための通過点」との考えを持ちスピード強化を特に重点をおいています。

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両角速監督(東海大)の息子は2人?!

両角速監督には2人の息子がいらっしゃいます。

それぞれ紹介していきます。

長男:両角駿(もろずみ・しゅん)

長男の両角駿さんは東海大学に進み駅伝チームに所属していましたが、怪我に悩まされ現役を引退します。

卒業後は東海大学駅伝チームのコーチに就任しています。

2017年時点で24歳になります。

東海大学スタッフ紹介のページはこちら

 

次男:両角優(もろずみ・まさる)

次男の両角優は、高校時代には佐久長聖高校のピッチャーとして甲子園の舞台にも立っている野球選手なんです。

親や、長男が陸上競技をしているのでてっきり陸上選手かと思ったら、野球選手でした。

しかも甲子園にまで出場してます(笑)!!

甲子園では2番手ピッチャーとしてマウンドに上がった優さんは、3回無安打5奪三振の無失点に抑え、佐久長聖高校12年ぶりの勝利に貢献しています。

プロ野球のドラフト候補とも言われていたのですが、現在は立教大学に進んでいます。

ところが立教大学野球部の部員名簿を調べてみると、スタッフとなっていますので、何らかの事情で選手登録はされていないのが実情のようです。

立教大学野球部3年生名簿はこちら

生年月日 1996年09月28日(21歳)で現在は立教大学の3年生です。

 

両角速監督は佐久長聖高校で大迫傑を指導したって本当?!

今や、日本男子長距離界で最も期待される選手の一人である、大迫傑選手。

出身高校は佐久長聖高校です。

当然ながら、両角速監督の指導を受けています。

大迫傑選手について両角速監督は以下のように語っています。

以下の記事を御覧ください!

高時代に指導した東海大の両角速(はやし)駅伝監督(50)=茅野市出身=は「とにかく負けず嫌いで、勝利への思いが強かった」と語る。

2人の出会いは2006年の全国中学大会3000メートル決勝。視察に訪れた両角監督の目に3位でゴール後、履いていたシューズを脱いで地面にたたきつけて悔しがる大迫選手(東京・金井中)の姿が飛び込んできた。

「普通の中学生は全国で3番に入れば喜ぶ。こんなに競技に懸けている子がいるんだと思った」。両角監督は1、2位の選手ではなく大迫選手の獲得に動いた。

高校入学後も驚かされることばかり。授業が終われば、最初にグラウンドに出てきて練習を始め、練習後の食事も風呂に入るのも1番。寮のげた箱の番号も「1番」を譲らなかった。1学年上で箱根駅伝でも活躍した村沢明伸選手(日清食品グループ・東海大出)にも練習で果敢に勝負を挑んだ。

一方、負けず嫌いな性格ゆえに、レース後は不機嫌になり、周囲ともめるなど協調性に欠ける一面もあった。それでも両角監督は大迫選手が2年の時の全国高校駅伝でアンカー7区に起用。志願して臨んだ大迫選手は期待に応える区間賞の走りで初優勝に貢献した。

そんな大迫選手の心境に変化が見えたのは、アキレス腱(けん)のけがに苦しんだ3年の時。最後の全国高校駅伝の本番前日、チームメートを前にした決意表明で「あすはチームのために走る」と宣言した。主将だった宮坂俊輔さん(25)=専大コーチ=は「珍しいことを言ったので驚いた。けがを経験して、走れない人の気持ちが分かったのだと思った」。

翌日は1区区間賞を獲得した。快走には満足した両角監督だが、心の変化には苦言を呈した。「本当に1番になりたいならば、他人に気を使っていたら駄目だ。おまえはそういうことは考えるな」。その意味について両角監督は「高校生として礼儀や他人への感謝は必要。でも、大迫が目指していたのは強い選手。『金太郎あめ』のような大人好みの良い選手になっては、持ち味がなくなる。教育者としては言うまじき言葉ですが」と説明する。

勝利への執念を取り戻した大迫選手は、早大時代は「スピードが身に付かない」と駅伝練習に反発。周囲の批判を恐れず、在学中から米国に単身渡米してスピードを磨き、昨年は5000メートルで日本新記録を樹立するなど日本のエースに成長した。

「大迫の場合、わがままとは違う。『勝ちたい』という一心、それだけ。勝負師ですよ」と両角監督。
引用:http://www.shinmai.co.jp/

厳しいことで有名な両角速監督が大迫傑選手に対して『金太郎あめ』のような大人好みの良い選手になっては、持ち味がなくなる。なんて言っちゃうところが面白いですよね。

こんな感じで、個別性のある指導を行うことで、選手が育っていくんでは無いでしょうか?!

佐久長聖高校時代の両角速監督と大迫傑選手の動画があったんで御覧ください!

大迫傑選手まだ子供のようで可愛いですね!!

今回は以上になります、最後まで読んでいただきありがとうございます。

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